2011年01月13日
まもなく始まるラファ日和(きっと^^)
「日本のみんな、いい汗かいてる?」
ラファは汗だくで練習だね。
お手の物~ラファ、体力戻ってきたかな?
一番和むものは笑顔のラファだ
ふんわりタオル、ほっとするね
かわいい笑顔に厚い胸板・・・
あれ、偶然にも裸の写真ばかり・・・。
全豪のドローは、明日14日(金)に発表ですね。
一番ドキドキの時が間もなくやってくる・・・。
優勝候補が誰とか、ラファスラムなるかとか、今回も盛り上がること、間違いなしですが、
一番望むのはラファのシーズンを通じての健康。
何しろ暑い、いえ暑すぎる全豪だから、ラファの体力が戻ってますように、と祈願は怠らない。
今週はテニス観戦もせずに空き時間はラファの本を読み耽っていた。
度々同じ本の話題で恐縮ですが、少しだけまたご紹介。
「STROKES OF GENIUS」 L・JON WERTHEIMM 著より
感想は私です
私が本格的にラファを知り応援し始めたのは(2007年のWB決勝を見てから)一年空いて2008年のWB決勝。
まだまだ新米のラファファンです。それから後追いでラファ情報、試合の動画を夢中で見たりしました。
だから、長年のファンの方ならご存知のこともを知らなかったりもあり、新しい発見が有りました。
2008年WB、ラファが4回戦のユーズニー戦でボールを追いかけて足(膝)を痛め、試合後鎮痛剤を打っていたこと。
そしてあのWBファイナル、だれもがひやっとしたラファの予測と逆方向に来たフェデラーのボールをリターンして、膝をひねったこと。
・・・これは本当にラファ、大丈夫と心配しました。このときにはもうラファに夢中で見てました。
そしてラファの膝がなんとか大丈夫だったのは、マイモのラファの練習前のストレッチや予防の努力によるのが大きいだろうこと。
・・・・マイモありがとう今更ながらまさにラファのWB初優勝はチームナダルで勝ちとった勝利なんだな
またナダル家は14世紀からマヨルカの中心勢力で栄えていること。
ラファのおじいさん(地方のオーケストラの指揮者を長年務めた威厳のある人物)の名もまたラファエル。
ラファのお父さんは5人兄弟(男4人、女1人)の長男で、二番目のラファの叔父さんの名もラファエル(彼もサッカーとテニスを少しやっていたこと)・・・。
トニやミゲルはもみなさんご承知の通りです。
著者曰く、ラファはアスリートとしての成功を予定されていたと・・・。・・・もちろんラファの努力が大ですけどね
また2001年に、マヨルカで組まれていた前チャンピオンボリス・ベッカーとPat Cashのエキシビがべッカーの怪我でできなくなった時のこと。
主催者がCashに、14歳のここで一番のジュニア(ラファ)とプレーしてもらえるか、と尋ねてエキシビを行う。
その結果、ラファが30代半ばのCashに勝利。
ちょっと話は飛んで、ミルカは15歳でスイスのジュニアチャンピオンだったこと。
そして21歳でWTAトップ100位のプレーヤーだったが、23歳全米で右足の靭帯を切りそれ以降、
ハイレベルで戦えなくなり、20代半ばで引退したこと・・・後半は辛いテニス人生だったんですね。
(ロジャーとミックスダブルスを組んだことがあると知ってましたが)2000年のシドニーオリンピックの時ミルカが22歳、ロジャーが19歳直前、このころからの付き合いだったんですね。
そうそう、ロジャーとラファの2008年WBファイナル、ロジャー2セットダウン3セット目ロジャーの5-4、雨での中断の場面。
ロッカールームへとぼとぼ向かうロジャーを、ドアの前で待っていたミルカ。
ロジャーの腕を握り、「5度のチャンピオンはナダルではなくあなたなのよ」と諭す。・・・頼りになりますね、ミルカさん
大まかな内容であちこち飛んでますが、ラファとロジャーの生い立ちだけでなく、故郷の歴史的背景、その他裏話なども分かり、お勧めです。
とりとめもなく、だらだら長くなりました。
では、スポーツしてきま~す
ラファは汗だくで練習だね。
お手の物~ラファ、体力戻ってきたかな?
一番和むものは笑顔のラファだ
ふんわりタオル、ほっとするね
かわいい笑顔に厚い胸板・・・
あれ、偶然にも裸の写真ばかり・・・。
全豪のドローは、明日14日(金)に発表ですね。
一番ドキドキの時が間もなくやってくる・・・。
優勝候補が誰とか、ラファスラムなるかとか、今回も盛り上がること、間違いなしですが、
一番望むのはラファのシーズンを通じての健康。
何しろ暑い、いえ暑すぎる全豪だから、ラファの体力が戻ってますように、と祈願は怠らない。
今週はテニス観戦もせずに空き時間はラファの本を読み耽っていた。
度々同じ本の話題で恐縮ですが、少しだけまたご紹介。
「STROKES OF GENIUS」 L・JON WERTHEIMM 著より
感想は私です
私が本格的にラファを知り応援し始めたのは(2007年のWB決勝を見てから)一年空いて2008年のWB決勝。
まだまだ新米のラファファンです。それから後追いでラファ情報、試合の動画を夢中で見たりしました。
だから、長年のファンの方ならご存知のこともを知らなかったりもあり、新しい発見が有りました。
2008年WB、ラファが4回戦のユーズニー戦でボールを追いかけて足(膝)を痛め、試合後鎮痛剤を打っていたこと。
そしてあのWBファイナル、だれもがひやっとしたラファの予測と逆方向に来たフェデラーのボールをリターンして、膝をひねったこと。
・・・これは本当にラファ、大丈夫と心配しました。このときにはもうラファに夢中で見てました。
そしてラファの膝がなんとか大丈夫だったのは、マイモのラファの練習前のストレッチや予防の努力によるのが大きいだろうこと。
・・・・マイモありがとう今更ながらまさにラファのWB初優勝はチームナダルで勝ちとった勝利なんだな
またナダル家は14世紀からマヨルカの中心勢力で栄えていること。
ラファのおじいさん(地方のオーケストラの指揮者を長年務めた威厳のある人物)の名もまたラファエル。
ラファのお父さんは5人兄弟(男4人、女1人)の長男で、二番目のラファの叔父さんの名もラファエル(彼もサッカーとテニスを少しやっていたこと)・・・。
トニやミゲルはもみなさんご承知の通りです。
著者曰く、ラファはアスリートとしての成功を予定されていたと・・・。・・・もちろんラファの努力が大ですけどね
また2001年に、マヨルカで組まれていた前チャンピオンボリス・ベッカーとPat Cashのエキシビがべッカーの怪我でできなくなった時のこと。
主催者がCashに、14歳のここで一番のジュニア(ラファ)とプレーしてもらえるか、と尋ねてエキシビを行う。
その結果、ラファが30代半ばのCashに勝利。
ちょっと話は飛んで、ミルカは15歳でスイスのジュニアチャンピオンだったこと。
そして21歳でWTAトップ100位のプレーヤーだったが、23歳全米で右足の靭帯を切りそれ以降、
ハイレベルで戦えなくなり、20代半ばで引退したこと・・・後半は辛いテニス人生だったんですね。
(ロジャーとミックスダブルスを組んだことがあると知ってましたが)2000年のシドニーオリンピックの時ミルカが22歳、ロジャーが19歳直前、このころからの付き合いだったんですね。
そうそう、ロジャーとラファの2008年WBファイナル、ロジャー2セットダウン3セット目ロジャーの5-4、雨での中断の場面。
ロッカールームへとぼとぼ向かうロジャーを、ドアの前で待っていたミルカ。
ロジャーの腕を握り、「5度のチャンピオンはナダルではなくあなたなのよ」と諭す。・・・頼りになりますね、ミルカさん
大まかな内容であちこち飛んでますが、ラファとロジャーの生い立ちだけでなく、故郷の歴史的背景、その他裏話なども分かり、お勧めです。
とりとめもなく、だらだら長くなりました。
では、スポーツしてきま~す